2012年08月18日

アルジャーノンに花束を  ダニエル・キイス

さて、こちらの作品も世界的にたいへん大きな影響力を及ぼした作品です。
僕自身、少なくとも三回は通しで読んでいるので、
この作品に対する認識は人並み位はあるのではないか…
と恐れながら自負している次第です。

アルジャーノンに花束を


本作は知能を獲得することの功罪というテーマを掘り下げた内容でもあることは主人公チャーリィの
「知識が、愛情を求める心を排除してしまうことがあまりに多いんです…。」
という有名な台詞が、世間に於いてランドマーク的な位置づけとされていることからも伺い知ることができ、
著者ダニエル・キイスはこの彼の台詞を、

知識の探求にくわえて共感する心を育む教育、そして他人を思いやる心こそが本質であると示唆したいのであろう。

と解説しています。
この種の認識を作品に内包させ、演繹させるという手法は、SF小説界では数多く見られ、
クラークの「幼年期の終わり」やディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
ホーガンの「星を継ぐもの」などの歴史的傑作にもその姿を伺い知ることができます。



知識と他人の思考。


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そういう意味では本書のP92、
恐るべきスピードで学習していくチャーリィが、
ストラウス博士から歴史、語学、数学、地理などのありとあらゆる学問や書籍を
はじめたほうがいいと助言されるものの心理学の本だけは大学の課程を
学ぶようになるまでは読んではいけないと固く禁じられる場面が出てきます。
理由として博士は、読むほど頭が混乱し、自分自身の考えとか感情ではなく
心理学の理論について考えるようになってしまうからだと言います。
このくだりには非常に興味を抱きました。
以前、私的に気に入っている小説、司馬遼太郎氏の 「坂の上の雲」 の作中で
似たような話を読んだことがあり、それは、本書序盤で、
半ば弟子入りのようなかたちで主人公の真之が兄の好古の家に転がり込んで
生活を共にしはじめた頃、真之が新聞を熱心に耽読していると、
兄の好古がそれを乱暴に取り上げ、
「自分の考えが無い者が人の考えを知るとバカになるだけだ!」というような
論調を展開した…という場面で、イデオロギーやプロパガンダというものを
明確なリテラシーを用いて読めないものは、無秩序に
翻弄されるだけで意味が無い…ということを論じたものです。
心理学の書籍と新聞。表層的には異なる分野の情報書籍ですが、
他人に高い影響力を持つという意味では、他の分野の書籍に比べて
本質的にはひどく似通った性質を持つものだと私的には考えています。

何れにしても上述の教授と好古の論から言えることは、誰かれ構わず無差別に、
情報はあればあるだけ与えるのが最良である…という二元論的解釈で、
全ての知力に関わる事象を説明できないということを示唆するものだと認識しています。

本を読んで頭が良くなるのが大概の人の「読書家としての功徳」というものなのでしょうが、
特に頭の悪い僕のような人間は埒外にも当てはまらないので、
特に本を買うときは一種のメディアリテラシーのようなものを人一倍働かせる必要があります。


コミュニタリアニズムと倫理。


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また、本書第百四十九頁から展開されるギンピイの一連の金銭不正と、
それを告発すべきか否かを苦悩するチャーリィのシーンでは、
NHKの番組で日本に多く知られることとなった
ハーバード大学の教授、マイケル・サンデル氏のコミュニティーと道徳に
関する喩え話と符合する部分を感じます。
同氏はハーバードの講義中に、生徒たちに向かって一つの例を出します。
それは自分のクラスメートでありルームメートである仲間がテストで
不正を行っているのを発見した時、それを教諭に知らせるか…否か、というものです。
これは統計的に見ると黙認される場合が多ようで、
人は大学よりもルームメートとの関係、延いては国家よりも家族との
関係といったより小さいコミュニティーを優先して
重要視するという論でありました。
翻ってキニアンに 「まるで子供ね」 と言われたチャーリィは、
"吾を信じよ" …という一つの哲学を用いて、上述で示される基本的な
性質とは異なる回答を導き出したわけですが、
仮にサンデル氏が示した上述の結果を導き出すに至る大衆の性質や、
チャーリィが渦中で助言を求めた教授の提言などが、
何らかの経験則や知識によってもたらされた自らの認識なのだとすると、
それらを使役することで結論を導き出すことはできないとした上で、
「告発すべき」 としたチャーリィの結論は、ひときは可憐なもので、
18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントが、哲学もまた数学や自然科学にならい、
人間のあらゆる経験から独立して、理性自身が認識の枠組みを決めることで、
必然的で普遍的な思考方法を獲得しなければならないと
主張したア・プリオリに近しいものを感じます。



日本語と、翻訳の質の高さ。


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本書は経過報告という体で、日記のような形式で区分けされていますが、
この性質は一種の書簡体であるといえ、更にその内容が一見して教授に
向けられているようで、実は読者に向けて熱烈に語るという
形式であることを考えると、同様の性質をもつ作品として
思い起こされるのはドイツ文学の巨星、
ゲーテの代表作 「若きウェルテルの悩み」 です。
この作品も主人公のウェルテルが、ロッテという人妻への恋慕を募らせ
苦悩していくという一連の流れをウェルテルが友人に宛てた手紙という
書簡体形式で描かれ、出版当時は自殺者を多く出す影響作として
知られましたが、この 「アルジャーノンに花束を」 は
この書簡体形式に加え、原文に於いて用いられた単語のミススペルの
意図的活用という技巧的表現を、平仮名だけの文章や、
句読点を殆ど使用せずに書く…という日本語のキャパシティを最大限に活用した
小尾芙佐氏の秀逸な文章群で構成されており、
更に高い次元の完成度を生み出しています。
終盤で再びチャーリィが知能を失っていくのに反比例し、
人としての寛容さや崇高さを取り戻していく描写に心揺さぶられる背景には、
こういった幾つもの高度な技術が関係しているように思います。

更に本作の文章は全体的に他の作品と
比較して倒置法を数多く使用して翻訳されており、
文章レベルが序盤から中盤、更に後半にかけて著しく変化する本作に於いて、
そういった工夫が読んでいて飽きさせず、更に結論を文頭で提示することで、
チャーリィの一言一言の台詞に関心を抱いて読むことができます。


話は更に脱線しますが、
文頭においてチャーリィのこの数ヶ月の出来事は結局の処、人の一生の縮図なのだと指摘し、
終盤で知力を失うチャーリィにシンパシーを感じた
日本在住の劇場プロデューサーの認識には感銘を受けました。
成る程、縮図を変えた人生を敷衍、演繹していると考えると、
本書の価値は無限大にも広がるように思われます。



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posted by makomako972 at 05:41| 読書 | 更新情報をチェックする


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