2012年10月10日

The Great Gatsby  Francis Scott Fitzgerald

こちらも今更僕なんかがレビューを書かなくとも吸血鬼カーミラ同様、八十年前から侃々諤々と文壇を初めとする各所で論議が繰り広げられている余りに有名な作品ですね。

The Great Gatsby

麓のごく近くに立ち、そこからふと足下の石や砂、或いは雪などを観察してみると、それらは風の影響や、人が歩く際に蹴られて逃げたりした影響もあってか
一見して不規則に配置されていて乱雑であり、極端言い方をすれば無秩序であるように思える。
しかし、それらを離れた場所から観察すると、先ほどの印象は翻り、人はそれを「富士山」と呼ぶ、世界遺産に登録されるほどの山として、
富士信仰という土着信仰の対象とされる程の美しい山へと姿を変えます。

反対にフランスのルーブル美術館にあるような美しい絵画の数々はガラス張りのケースを通じ、ほんの数メートル、時として数十センチという間近でみると
それらは人類の英知のなせる究極の芸術として面接することができます。しかしそれらを前述の富士のように遠く離れたところから見ると、
当然それらは米粒ほどの大きさしか無く、英知を見定めるどころか、絵であるということも認める事すらできないかもしれません。

小説を筆頭とする様々な文字や文章を読んでいると、時として似たような印象を受けることがあります。
それはつまり、

多くの文章量を用い、単体では文字通りの意味を持つのみであるが、それらは集結し一つの長編ほどの量にまでなると、一つの大いなる完成をみるもの。
反対に長い文章を用い重厚な印象を与えることはないが、キャッチコピーのように必要最低限の文字数のみで、字数以上の意味と想像力を沸き立たせるもの。



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一般的に前者は小説家の領分であり、
後者はコピーライターなどの広告系の方の領分であるという印象がありますが、
以前、コピーライターの糸井重里氏は、
自身がプロデュースした作品をテーマとした対談の中で、
そういった文章の密度によってテリトリーや棲み分けというものが
存在するという事実は認めつつ、
時としてコピーライターのような文章の密度を持ちながら、
長編としての機能を果たさせることができるような作品を書くことが出来る
作家が非常に希ではあるが存在するという話をなさっており、
その代表例として彼は、チェコ出身の大作家ミラン・クンデラを挙げておられました。
確かに彼の代表作「存在の耐えられない軽さ」は、
並大抵の文章ではないというような印象が私的にもありますが、
それは冒頭にいきなりニーチェの詩編を引用した重厚且つキャッチーな
書き出しからしても既にその片鱗は十分垣間見ることが
出来るのではないかと思います。(写真右)


今回のスコット・フィッツジェラルドの「グレートギャツビー」も同様の印象を受けました。
この世界的ベストセラー小説は、長編ものとしても類い希な完成度を有しているだけでなく、
その文章の一文一文はまるでどこを切り取っても、
それ単体で字数以上の意味を持つような錯覚に陥るほど情報量が多く、
例えば、どこでもいいから一文を抜き出して看板にでも書き写し、「往年の名作、グレートギャツビーの一節より」とでも書き添えておけば、
即商材として機能するかのような気にさせるほどです。
典雅で美しい自然の描写や、グロテスクなほどの登場人物の心理描写から豪華絢爛なギャツビー邸のパーティーの情景の描写まで、
それらは詩編のように一つ一つの文章量を大きく上回る情報が、
恰も独立したZIPファイルに収められた圧縮ファイルであるかのように整然とそこに意味のある順序で陳列されており、
読者である僕に、その都度その都度、それらのファイルを解凍して読み進める作業を要求されているかのような気になりました。
それは幾ら噛んでも味が消えないガムのようであると言えば聞こえが良いかもしれませんが、
人生経験が乏しい僕には、手持ちの解凍ソフトで解凍できるものもあれば、
幾ら様々なソフトを駆使しても解凍できない…つまり考察しても理解が及ばない部分も多くあり、
蒙昧な身の上としては、自らの怠惰な性格に些か途方に暮れた感もありました。


訳者解説に於いても村上春樹氏は、数十年かけてこの名作を読み直す作業を幾度となく行ったという旨を記載していますが、
それもそういった行間に込められた尋常ではない情報量を捌くのに必要とされた時間だったのではないかとも思いますし、
ましてや村上先生は翻訳者でもあられるのですから、取り分け深い考察に基づく認識が必要だという意識がおありになったのかもしれません。


ホールデンのギャツビー考察。


さて、少し話は飛躍しますが
サリンジャーの代表作、キャッチャーインザライの劇中に於いても、
主人公のホールデンが本作について述べるシーンが出てくるのも興味深い点です。

野崎孝版 第218項

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「たとえば、リング・ラードナーのあの本だとか、あるいは、
彼が夢中になっているもう一つのあの『偉大なギャツビー』とか、
ああいうものがどうして好きになれるのか、僕にはわかんない。
それを言うと、D.Bはおこっちゃってね、僕のことをまだ若いかなんかするもんだから
あの作品のよさがわかんないんだと言ったけど、僕はそうは思わない。
僕は、リング・ラードナーや『偉大なギャツビー』やなんかなら、
僕だって好きだって、D.Bにそう言ってやった。実際またそうなんだ。
『偉大なギャツビー』なんか大好きなんだ。ギャツビーの奴、
友達に呼びかけるときに「親友」とかなんとか言っちゃってさ。あれには参ったね。」


といったような内容で、
文頭ではギャツビーを好きかどうか解らないと自己解釈しつつ、
後半は大好きだと言ってみたり、
実にホールデンらしいと言えばらしいですが、
末尾の「あれには参ったね」という一言は
彼が作中に生きている人では唯一と言っていいほど、
好意を抱いている妹のフィービーについて考察するときに
誉め言葉として数多く登場する言葉であることを鑑みると、
ホールデンがギャツビーを好きだというのは恐らくホントの話なのだろう…
などと私的には考えています。


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posted by makomako972 at 00:01| 読書 | 更新情報をチェックする


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