2011年03月04日

檸檬  梶井基次郎

今回は泣く子も黙る梶井基次郎の代表作、"檸檬"の話でもつらつら書いていきます。

梶井基次郎



現代人も共感を禁じ得ない檸檬のシグナル。



La Petite Fadette

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死ぬほど自分を苦しめていた悩みや心配事が、ほんの些細な出来事や事象で
好転的で捉えられるようになったりすることが人にはあるようでして、それは例えば、
朝外に出ると季節の花の匂いがしたり、街中を歩いているとき、
偶然何処からか自分の好きな音楽が聴こえてきたり、
或は人に言われたほんの些細な言葉の端端にも潜んでいたりするのかもしれません。
こういった精神の流れを思うと、19世紀の閨秀作家であるジョルジュ・サンドの芸術論

「芸術家の使命は、柔和や信頼や友情を顕揚して、
清浄な風習や、優しい感情や、昔ながらの心の正しさなどが
まだこの世のものであり、もしくはあり得るということを、
或は心を荒ませ或は力をおとしている人々に思い出させてやることである」


という言を思い起こすのですが、
本作の主人公は”檸檬を画集の上に置く”という手段を用いて悩みや心配事を
序抒情性豊かに「好転化」しています。

取り分け僕が面白いと感じたのは、現代のこの世に住む多くの人が、
この"檸檬を画集の上に置くという行為で悩みを好転化させた物語"を読んで、
その読者自身が自分の悩みや心配事を好転化させているといったことが起きていることでしょうか。
現在に於いても時折、丸善の陳列棚に檸檬がポツンと置かれていることがあるらしく、
本書に収められている作家 高田郁さんのエッセイの中でも高田さん自身が昔、
丸善本店に檸檬を置いた経験があることを披瀝しておられますが、そういったことは今でもあるそうな。
梶井基次郎が生きた時代も、科学技術が大いに発展した現代も、
変わらず"悩み"というものは常に人に付きまとうものであるというのが現実というものなのでしょうが、
しかし、その解決方法というものも、そう大きくは変化していないからこそ、
あれだけ生活環境が異なる過去の人間が描いた些細な処世術が
今の人々にこれだけのシンパシーを与えるのでしょうか。
いずれにしても、この作品の芸術的価値は、少ない文章総数とは裏腹に非常に多いという印象があります。



諧謔心という語とその前後の文章について。



━━ つまりはこの重さなんだな。 ━━

その重さこそ常々私が訪ねあぐんでいた、疑いもなくこの重さは総ての善いもの
総ての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり━━  (十三頁)


本作の中でも非常にシンボリックなこの一文は、上記の”檸檬を丸善に置く”という
テーマと並んで重要な扱いを受けているようでこの場合に於ける”諧謔心”という語は
いったい何を指すのか?という問いは様々な文学教育の場でなされているらしいです。
私的に少しこれについて考えてみました。

諧謔心とは 「笑いを誘うようなユーモアのある気持ちや心情などを意味する語。」 (weblio辞書)

文頭「その重さこそ」の"重さ"とは精神と物質との比較であることから檸檬の物理的な質量を意味し
「総ての善いもの総ての美しいもの」とは善美のことを定義すると、

"善美"の意味とは 「よくて美しいこと。美しく立派なこと。また,そのさま。」 大辞林 第三版

であるのだそうです。
さて、この大辞林の解説を見るにつけ、浅学菲才な僕は言いたい 「いまいちワカンネ(笑)」
というわけで、以前松下幸之助の「道をひらく」という名著で登場した真善美という言葉を当て嵌めてみます。

真善美の意味 「認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。」          デジタル大辞泉
       「人間の理想である,真と善と美。それぞれ,学問・道徳・芸術の追求目標といえる,三つの大きな価値概念。」 大辞林 第三版



私的にこちらで取り上げられている"善美"のほうが意味として明瞭で理に適っている気がします。
つまり、彼が文学的観点から追い求めていた、人間が理想とする倫理上の善や審美上の美というものは、
自分の掌に収まるほどの大きさと質量を有したこの檸檬一つに等しいものだ…という解釈であろうという考え方に行きついた次第。
同時に文章最後に登場する"諧謔心"に掛かっている「思いあがった」という副詞的用法の形容詞には様々な解釈がなされますが、
色々調べたところ概ね以下の二点いずれかであるように思われます。

「これ(善美に関する考察)は深く考えずに導き出した結論である…
ということを描写するために挿入したものである」

松下幸之助

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「大それたこと…の言いかえとして使用してる ex.重量に換算して来た重さであるとか、
大それた諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり」


この二点の考察を見るにつけ、浅学菲才な僕は言いたい 「どっちでもヨクネ?(笑)」

まあしかし善美に関する前文の解釈の重要性を自ら打ち消すという
効果に於いて両解釈は共通していますし、そのあとの"馬鹿げた"
というのもその意味に則していると考えるなら、自ずと「思いあがった」
という語を挿入した意図が垣間見れるような気がします。
そもそも善美という概念を文学という芸術表現をもって表すというのは、
云わば小説家にとって最も本質的な事柄であるような気もしますので、
それを易々と明確な意思表示として言及することは
避けたかった…という意図もあるのかもしれませんが(←僕の勝手な考えですが)
もしそう考えると「そんな馬鹿げたことを考えてみたり」のあとに続く

何がさて私は幸福だったのだ。

という一文も、
「もし善美というものがこの檸檬一つと同じなのだとしたら、
小説家として私が追い求めてきたものって何だったの?」
という結論に彼が達した…と考えてみると、これまた少し面白いかもしれません。
(これまた完全に勝手な考察ですが 笑)



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posted by makomako972 at 17:05| 読書 | 更新情報をチェックする


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